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2012年11月25日日曜日

第10回収穫感謝祭を開催しました。


こんにちは、SMです。

さて、本日は収穫感謝祭の開催日でした。

今日この、「今日のこんにちは」を書くことになったのは誰かしらの陰謀かと思いながら、文章をしたためています。
さて、本日は津久井湖城山公園の一大イベントである「収穫感謝祭」の開催日でした。ボランティア・スタッフ総勢180名の方々にお手伝いいただき、イベントは開催されます。まだまだ収穫感謝祭のなかでできること、やらなくてはいけないこと、そしてできていないことなどなど色々なご意見があることは重々承知しています。
しかし、まず私たちは、中身ももちろんですが、多くのボランティア・スタッフの方々と一緒にお祭りを開催できることが最も嬉しいんですね。
その嬉しさを今日は抱き、筆を置くことにします。明日以降の脅威の片付けは今は考えず、健康的に帰路につきたいと思います。
改めて、ご来園いただいたお客さま、ご参加いただいたボランティア・スタッフの皆様、そしてお祭りを開催するにあたり、ご迷惑、及び多大なご協力を頂いた地元の皆様、本当にありがとうございましたーー!!!(SM)


「今日のこんいちは-11月25日(日)-」より

文章の手抜きではありません。
ここでは「今日のこんにちは」では書ききれなかったことやお見せしたいものについて、お話したいと思います。

今年の収穫感謝祭はすべてのブースの数は26。
参加団体は16を数えました。

特設ステージでは

毎年、「森のステージ」では演劇を行なっていますが、新たに研修棟前に特設ステージを設置。
そこでは二本松友和会による和太鼓、上溝ぼうち唄保存会さんによるぼうち唄、そして大沼土窯搗き唄保存会さんによる土窯搗き唄が行われました。






上溝のぼうち唄は戦国時代津久井城が落城したことを伝える唄が伝わっています

「津久井の城がおちたげな
弓と矢と
小旗(しょうき)の竿が流れてくる
それそれ粉んなれ粉んなれ」

まさか、津久井城でそれを観ることができるとは思っていなかったので、思わず感動しました。

 森のステージでは

「森のステージ」では劇団「ブラック・ロック」による寸劇「アラクモノ」が演じられました。
戦国時代津久井城を舞台にして、当時の民衆が主役の劇になります。
武田信玄の小田原攻めを契機にして、高まる緊張感を背景に津久井に落ちのびてきた武田軍の将兵と津久井の「アラクモノ」が出会うことに物語は始まります。




途中で矢沢永吉ちゃんがでてきたりと素直に面白く、またもう一方で戦国時代の雰囲気を感じる舞台でした。
また見たいなぁ♫


里山広場では

現在、津久井城址市民調査団による発掘調査が行われています。
この日は発掘調査の現地説明会が開催されました。
なかなか普段は馴染みのうすい調査現場ですが、この日は近くでみることができました。






他にも


竹細工製作体験コーナーではお箸や竹ポックリなどの様々な道具を作ったり、











 ぐるぐるパンコーナーでは竹に蒔いて、炭火で炙ってパンを作ったり、












バームクーヘンコーナーでは煙をよけながら、バームクーヘンを作ったり、











他にも様々なテントブースや体験が盛りだくさんの一日でした。










最後に改めて、ご協力いただく地元の方々やボランティアの皆様、そして、ご来園いただいた皆様に御礼申し上げます。
本当にありがとうございましたーー!!!

来年も11月の最終週の日曜日に開催しまーす!!!!
もし、出展やご参加にご興味をお持ちの方はどしどしコメントくださーい!!!!!

2012年9月18日火曜日

収穫感謝祭と来年度に向けて


SKTボランティア公園班の活動として「津久井の養蚕」を扱い、いよいよ11月の収穫感謝祭も近づいて来ました。

今日はその収穫感謝祭と来年度継続していく上での今年度のまとめについてお話しました。

今年の収穫感謝祭では公園班として養蚕に関する浮世絵と民具を展示、そして公園で育てた蚕の成長過程のスライドビデオを作成することにしました。

写真を見ながら、どんな内容にするかやどんな情報が今、手元に足りないかなどなど。数分の映像でもとても時間がかかる作業になります。




そして、来年度に向けての準備作業については前回の公園班の記事でお話したとおり、今年はかなり手広く調べ物をしました。

そこででた課題は今年出た課題や疑問点、そして積み残しになっていることを忘れてしまうかもしれない(笑)ということですね。

ただでさえ好奇心旺盛な公園班の皆様は次から次に色々な発想が生まれていきます。
そんな発想を忘れず、次に繋げていくために・・・ということで、次回までに自分が担当したところについてでた課題を箇条書きで記すこと。
それを次回の活動日に持ち寄り、さらに自分が忘れていることもありえるので、みんなで思い出して整理することになりました。

ここができれば来年度同じ事をせず、次の作業に入っていけることでしょう!!


2012年8月20日月曜日

「絹の道」は続く



絹の道に興味を持ち始め、考えてみようとなってから早半年が経ちました。
今回の企画は秋口11月に開催される収穫感謝祭で発表するという終着点があります。

いよいよ残りの活動日が3回に迫った今日はこれまでの確認と、収穫感謝祭での発表内容についてお話をしました。

しょっぱなから脱線ついでに今回の企画について書いてみましょう。
「絹の道」について調べるという企画はとても面白いものです。
何が?と聞かれるので早速答えましょう。

津久井の地域性や都市の関係、そして甲州街道や相模川という流通経路、経済などなど一つの「絹の道」という大テーマを取り巻く小テーマがたくさんあります。
そんな切り取るところがとても多種多様な視点で見ることができるのがこの「絹の道」が面白いところです。

もう一方で実はここに課題がありました。

ひとつひとつのテーマが面白すぎて、みんなで手を広げすぎたことです。

一年ではまとめきれませんでした 笑
笑っておきましょう。

そこで私達が考えたのは「絹の道」については2年計画で行うというものです。
今回の収穫感謝祭での発表は養蚕についての一連の流れについての展示、津久井周辺の流通経路について、そして、蚕が育つ様子を表す映像を表現するというところまで。

その後に各時代ごとの道についてや、津久井地域の養蚕とそれに伴う商品の流通に大きく関与した久保田酒造さん、そして津久井周辺の養蚕にまつわる神社などなどを整理していく。

そんなふうな2年計画で実施することを皆で話し合いました。

このあとはこれまで持ち寄った資料をもとに具体的な展示準備を進めて行きます。
10月頃にいったんの整理として展示を行い、その資料に他の資料も加えて収穫感謝祭での展示を行う計画です。

また展示についてはお話していきますねー!

2012年7月17日火曜日

蚕づくしの公園班


 暑い!暑い!暑い!
と3度叫んでみました。結果は何も変わりません。
むしろ変なテンションで余計に暑くあったような気がします。

さて、本日はSKTボランティアの公園班の活動日でした。
今日の活動内容は

1.前回の確認
2.蚕が無事マユになりました報告
 蚕の繭についての詳細記事はまた別で作成するこにしましょう。
最終的に繭は161個できました。
1個につきだいたい1300~1500mとも言われているので、ざっと計算しても209,300m。
つまり、209kmですね。
だいたい津久井湖城山公園から「厚木」ICまで行き、そこから東名高速で「掛川」ICぐらいまでですね。
ん~わかりにくいようですが、すごい距離です。


3.久保田酒造について
 津久井の川和縞と久保田酒造はその出荷の部分でも深い関係があります。このあたりはまた別の機会でと考えています。そこで久保田酒造の150年の歴史をまとめた書籍を参考にすることにしました。







4.蚕ドキュメンタリー
津久井の養蚕についての映像をみました。
前回お話したとおり、
・相模原市立博物館制作「最後の養蚕 2010年秋」

・桜美林大学の実習で制作された「25g」監督・撮影 入江修平
をみました。
前者は仕事としての養蚕のやり方を丁寧に記録したドキュメンタリー。
後者は社会問題としての養蚕の助成金廃止についてのドキュメンタリー。
両方共異なる視点から養蚕のことを描いている作品です。

5.まとめ

と本日はこのような内容でおおくりました。
次回はより深く収穫感謝祭の展示についてお話を進めていくことでしょう。




2012年7月15日日曜日

蚕は繭へと姿を変えつつあるのである


さぁ、いよいよこの蚕レポートも終盤へと差し掛かりました。

続々と蚕が繭を作り始めています。
残念なことに枠の外で繭を作ったことは御愛嬌でしょう。

本来はおどろくほどきちんと枠の中に入ります。
もう完全に繭になってるものもありますね。
ちなみにこの枠は実際に養蚕をされていた方からお借りしています。
本当は空中にこの枠をいくつも重ねたものをぶら下げて回転させながら行うのですが、公園のパークセンターで行う分、規模縮小して蚕を育てています。









桑の葉を食べている蚕もあと少し!
もうすぐすべての蚕が繭へと変貌を遂げるでしょう!!


2012年7月3日火曜日

育つ育つ蚕は育つ


虫嫌いのかた、ごめんなさい。
閲覧注意の表記をすべきかもしれません。

先日お話した蚕。
はじめは1mmにも満たなかったこの幼虫は7月2日現在。

なんと2.5cmまで成長!!

ぐんぐんと育っております。

おそらく7月中旬ころには繭をはるとのこと。

皆様パークセンターで絶賛展示中ですので、
ご興味ある方、はたまた怖いものみたさで是非是非御覧くださいませ!!

関連する記事
2012年6月23日土曜日 「蚕を育て始めました」 

2012年6月23日土曜日

蚕を育て始めました


本日6月23日より蚕を育て始めました。
津久井地域では養蚕との関係は切ってきれない関係があります。

2010年神奈川県では養蚕農家への助成を打ち切りをきっかけにして津久井地域でも養蚕農家は蚕を育てることをやめました。
それまで津久井地域では養蚕が主要な現金収入であり、また江戸時代には川和縞がつくられるなど生業と文化が花開いた産業でもありました。

このような養蚕は地域の歴史の大事なポイントなのですね。
今回の公園班の活動ではそれをより広げてみてみようということで絹となり製品が運ばれる過程、「絹の道」について調べを進めています。

で、最初の写真です。
ご協力いただいている団体の方より蚕の卵を頂きました。
普段は冷凍されているおり、それが解凍します。

そして、今・・・
まさに・・・
孵化して初めての食事をしているのでーす!!

この黒い細長いのが蚕の幼虫です。

2012年6月18日月曜日

養蚕の浮世絵をみるのである


さて、今日の公園班の活動は先日お話したように、養蚕を描いた浮世絵をみることにしました。
あいにく身体を壊して欠席された方もいたので、今日は全体を進めることはせずに、これまでの確認をすることにしました。

養蚕を描いた浮世絵が描かれたのは江戸時代にこと、現在データベース化されているのをみると始めと終わりとでは100年以上描かれた年代が異なります。

全体的に後半になればなるほど、色彩が豊かになっていくんですね。
このあたりは美術史としてみても十分面白そうですが、あらぬ方向に脱線しそうなので我慢しました。
一つづつみていくと、養蚕の基本的な流れに大きな変化はありません。
また模写した資料もあるので、書き手は違うけれど、変化せずという印象を持ちます。
しかし、よくよくみると使っている道具が変わったりと養蚕技術の変化をみることができます。

というようなことをあれこれみんなで話をしました。
次回はより具体的に課題をお話できればいいなと思います。


養蚕を描いた浮世絵は以下のサイトで見ることができます。

VR-浮世絵展示室
http://www.biblio.tuat.ac.jp/vr-museum/ukiyoe.htm


追記

次回の活動内容でもあります。

昨日、K地原さんとこに遊びに行って来ました。

いろいろとお話してきたのですが、

津久井の養蚕についての映像

・相模原市立博物館制作「最後の養蚕 2010年秋」

・桜美林大学の実習で制作された「25g」監督・撮影 入江修平

をお借りしたので、次回見ましょう。

あと、菊地原稔・守屋博文「最後の養蚕」『ふるさと津久井』5号 2012

の抜き刷りをいただいたので皆さんにお配りします。

2012年5月21日月曜日

養蚕あれこれ


今日は公園班の活動日です。
今年は津久井の養蚕について調べる、収穫感謝祭で発表するという計画をたてて活動しています。

今日出たお話は以下のとおり。
・宿場町について
街道や道について考えるときには宿場町や市の情報はかかせません。
戦国時代や江戸時代にはどのような状況だったのかを調べています。
例えば、戦国時代だと当麻や厚木の荻野に宿場町がありました。
江戸時代になると城山では久保沢や原宿に宿場町が。
このあたりと川和(中野付近)との関係は?
一時的に衰退しますが、その状況は?
などなどが今後調べていく内容になります。

いよいよ、色々な情報が集まってきたので、一度年表作りをしようという話になりました。
時間軸での整理を細かく行なっていくことが必要でしょう。
それと古道との関係を細かく見ていくことになりますね。

・当時使っていた道について
「絹の道」について調べていくと上野原から八王子のルートが上がってきます。
この時考えなくてはいけないのは津久井から上野原への道を整理しなくてはいけません。
そもそも、上野原に運ばなくてはいけないの?という意見もあります。
このあたりは絹という製品の特性上どこでも誰でも扱えるものではないということが大事なポイントになりそうです。

大分資料が集まってきたことにより、より具体的な話ができるようになってきました。
この他、養蚕を描いた浮世絵資料収集のプロジェクトも同時に動いています。
次回はそのお話ができそうです。


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