2012年8月22日水曜日

津久井城跡市民遺跡調査団活動第3回


本日は津久井城跡市民遺跡調査団の活動日でした。
前回お話したようにこの活動は相模原市教育委員会、相模原市立博物館とそして、我々(公財)神奈川県公園協会の連携事業でそれぞれの団体に所属しているボランティアさん達と一緒に調査を行うものです。
調査にあたっては今回や前回のような講義や研修、そして発掘調査から調査成果の展示まで様々な活動を1年に渡って行います。

さて、第3回目となる今回は前回の津久井湖城山公園の歴史担当である野口氏による「 津久井城にはどんな施設があったのか~中世城館建物概論」という題目でお話がありました。

今回のテーマを調査団の講習会として取り上げたのは昨年度の発掘調査では「柱穴」とかんがえられる穴ぼこが発見されたんですね。
場所は現在、「森のステージ」がある場所の沢を渡って、向かい側にある平場付近です。
このあたりはこれまで調査が入ったことはなく、どのような機能をもつ曲輪(平場・人為的に平らにした場所のこと)なのかはよくわからなかったのです。



そのような場所で建物の柱の穴が発見されたことはこれからのこの場所を考える上で、とても重要な成果なのでした。

そして、それでは中世戦国時代にはどのような建物が、どのような構造で作られていたのか、または見た目はどんなふうなのか?ということを考えてみようということで、今回の野口さんの講習になりました。

内容は「津久井城にはどんな施設があったのか 」ということで、これまで発見された建物跡や施設などの写真についての説明。
その後、復元された史跡、例えば一乗谷朝倉氏館のところや甲州の館跡などを参考に確認。
ほかにも、絵巻物に描かれた建物の絵をみることで、とてもビジュアルに当時の建物を知ることができました。

ポイントは絵巻物や復元された建物と異なるところである、発掘調査では痕跡はとても残りにくいというところです。
一緒に出土した道具やカスガイなどの建築に使われるものなどなど、もちろん柱穴などの穴ぼこも含めて、様々な情報から読み取ることが大切だいうことがお話にあがりました。


そう、そして、いよいよ測量・発掘調査研修や現地での発掘調査が近づいてきました。
次回は小田原のほうへ参上し、八幡山古郭などを見学に行く予定です。

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